【歴史】スクール日本一へ道 序章二2011/05/09 09:22

古いテニス理論が育ての親
開業当時、『踏み出しながら体重移動で打つストローク』『腰の高さのフラット至上主義のストローク』『真横を向いてから踏み出すボレー』『振ってはならないボレー』『肩で振り回すサーブ』などのが強固に蔓延していました。
そんな世相の中、私の指導はしばしば酷評の噂にさらされました。
私のテニスを受け入れてくれるのは、何も知らない初心者だけでした。
異端児は世間の風がモウチベーションを高めてくれるものだと知りました。

開業時のママさんが育ての親
最先端テニスは、理論上は理解できても、実現できたら有効性が高そうでも、指導法が確立されていません。
私の目前にいるのは、動機も運動能力も低く練習量も少ないママさんです。
最先端テニスを修得させようとしても困難を極めました。
鳴かぬなら鳴かせて見せようホトトギスで、私は工夫に工夫を積み重ねました。

腰掛けジュニアが育ての親
ママさん相手に指導力を磨かされた私は、数年後ジュニアに力を入れ始めました。
しかしドローを見た相手にとってテニストピアは『ラッキー!』の対象でした。
また、ほとんどが『塾の時間割が変わったから辞めます』『中学に上がったから部活に入るので辞めます』などの腰掛けでした。
私は『塾の時間割が変わったから塾を辞めてきました』『中学の部活よりこちらを取ります』と言わせてやるんだという決意を込めた眼で後ろ姿を見送りました。
しかしテニストピアは約十年間、私の指導能力は、極度の過剰品質状態が続くことになります。

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