【スクール】大阪府冬期ジュニアU11複2011/12/04 23:00

12月4日大阪府冬期ジュニア田村杯のU11複で
佃紫帆・吉村萌百子チームが第一シードを守り決勝に残りました。
このチーム、コーチとして実力的には大阪ダントツNO..1の自信があります。
しかしこの年代のダブルスは、ゲーム数でしばしば身内をヤキモキさせます。
しかしSFも8-0と、そうでなかった点に、ペアとしての相性の良さを予感しました。
技術的には、全日本ジュニアに向けての第二歩目の大きさを確信しました。
勝間みなみ・高岡鈴蘭は紫帆・萌百子と対戦し18でベスト8でした。
このチーム、経験も身長も凸凹コンビにして、よくやったと思います。

【スクール】掘りコタツ風2011/12/05 01:11

テラスに、父兄参観用に掘りコタツ風ホームコタツを制作中です。 座敷でなく、イスに座って囲いの中に足を下ろす設計です。 パチンコに興味のない私の足繁く通う場所はホームセンター。 コーナン,コーナンプロ,ロイヤルホームセンター,ナフコ,ダイキ、どの店のどこに、どんな資材,部品が並んでいるかは、全て私の頭の中にあります。 『こんなものがあったらなぁ』と思った瞬間、それらの組合せと設計図と完成形が次々と浮かびます。 『増田コーチってコーチじゃなかったら大工さんでしたよね』はよく言われます。 いいえ! 開業当初のコート自作から始まり、張り機改造、レッスン用備品自作、テニスマシン改造・・・と完璧にテニスと一体です。 ジュニア育成にも、その私の特質が深く関わっていると自己分析します。 ジュニア選手も、ひょっとしたら、私の何年がかりの入念な大作なのかも知れません。

【歴史】スクール日本一へ道 全国第3号2011/12/05 08:13

次の素質は既に定期クラスの中にいました。
家がすぐウラだからと来ていた森美紀です。
当時は良い素質との出会いを求めて、それまでの個人指導ONLYではなく、集団指導と個人指導の融合時代に入っていました。
『テニストピアってテニスとピアノ教えてくれるんか!』とからかわれた時代は終わり、テニストピアは大阪で優勝を繰り出す名門チームになっていました。
趣味として週一で入学して、週二、週三と好きになり、週五とのめり込んで頭角を現した美紀の全国デビューは全国小学生。
サービスエースの取れるフラットサーブ、大きく跳ねるスピンサーブ、高い打点からの強打でどんどん前に出るテニス、鋭く振り抜くボレー、一発で決まるスマッシュ・・・と、会場で飛び抜けて一番上手いと思うのに、ベスト16で終わりました。
落胆して、とぼとぼ歩いていた私に『鳥肌が立ちました』と励ましの声が掛けられました。
その主はテニスジャーナルの記事を書いているという松島徹氏です。
美紀とお母さんへも一言お願いしたところ、記事にも励ましを込めて書くと約束をして下さいました。
しかし発刊された記事を読んで唖然!! 
美紀のサーブ,ストローク,ボレーの大きな写真が三枚。
そして
『・・・現状の日本では将来を見据えたプレイをしていては試合に勝つことはできない。ダイナミックなサーブ、鋭いスウイングスピードのストローク、アプローチからのネットプレイなど、これらはとんでもないことと教え込まれる。・・・ここで紹介した森美紀ちゃんは私が選んだ本当の小学生チャンピオンである。・・・(松島徹氏記事)』
『・・・鳥肌が立つ思いがしたと松島コーチが絶賛した森美紀 松島コーチは3回戦で4ゲームしか取れずに消えた森美紀を本当のチャンピオンとして挙げた(写真解説)』
記事と解説はテニスジャーナル1996年10月号 全国小学生選手権大会"君の夢はどこにあるのか" より引用。(関心のある方はスキージャーナルさんに依頼したら記事を実費で送ってくれます。)

【スクール】掘りコタツ風稼働中2011/12/10 14:53

掘りコタツは二日で完成しました。 テントの下で、布団の中の暖かさ! 大好評です。

【歴史】スクール日本一第一号2011/12/10 15:35

1999年8月、森美紀は全日本ジュニアにダブルスのみに切符を手にしました。
私は妻と長女の名恵と門下生の小南ちあきを率いて一回戦か二回戦だけでも晴れ舞台を見届けようと有明に向かいました。
パートナーの竹本みのりさん(江坂テニスセンター)は、ボレーに自信が無くてサービスラインに留まるものの、鉄壁のストロークを誇りました。
美紀は、ストロークは荒いがサーブとネットプレイの破壊力抜群です。
そんなチームが大阪、関西で勝てても、全国でどこまで通用するか全く不明でした。

二泊分だけの荷物を小型のキャンピングカーに詰め込んだ旅は、嬉しい誤算と雨で、四日に延びました。
ベスト8までなんとか進出したものの、踏み込むことが武器の美紀のレシーブはミスして踏み込めず、踏み込めないことでミスが出る悪循環に陥りました。
QFに向けて会場の貸コートを確保して調整しましたが、カゴボールがないので効果も上がりません。
そこでそれ以降の試合を、私は美紀にレシーブダッシュを命じました。
しかし、それが見事に的中。
観戦に来られた植田実氏や福井烈氏など強化コーチが、美紀のレシーブダッシュにのけぞって感心されているシーンは、今でも脳裏に鮮明です。
その後SF,Fと快進撃で日本一はもたらされました。
夢か現実か区別できず、呆然と表彰式を待っていた私に歩み寄って来られたのは植田実氏です。
『よくここまで育て上げられましたね』と嬉しいお言葉に、私は『ダブルスしか出られてないんですよ』と憂いの言葉でお返ししました。
すると『シングルスで勝てていないのにダブルスで勝てているのは多彩なテクニックを身につけている証拠ですよ』と。
それまでの苦労の全てが吹き飛ぶ、至福のひとときでした。