【歴史】スクール日本一第一号 ― 2011/12/10 15:35



私は妻と長女の名恵と門下生の小南ちあきを率いて一回戦か二回戦だけでも晴れ舞台を見届けようと有明に向かいました。
パートナーの竹本みのりさん(江坂テニスセンター)は、ボレーに自信が無くてサービスラインに留まるものの、鉄壁のストロークを誇りました。
美紀は、ストロークは荒いがサーブとネットプレイの破壊力抜群です。
そんなチームが大阪、関西で勝てても、全国でどこまで通用するか全く不明でした。
二泊分だけの荷物を小型のキャンピングカーに詰め込んだ旅は、嬉しい誤算と雨で、四日に延びました。
ベスト8までなんとか進出したものの、踏み込むことが武器の美紀のレシーブはミスして踏み込めず、踏み込めないことでミスが出る悪循環に陥りました。
QFに向けて会場の貸コートを確保して調整しましたが、カゴボールがないので効果も上がりません。
そこでそれ以降の試合を、私は美紀にレシーブダッシュを命じました。
しかし、それが見事に的中。
観戦に来られた植田実氏や福井烈氏など強化コーチが、美紀のレシーブダッシュにのけぞって感心されているシーンは、今でも脳裏に鮮明です。
その後SF,Fと快進撃で日本一はもたらされました。

『よくここまで育て上げられましたね』と嬉しいお言葉に、私は『ダブルスしか出られてないんですよ』と憂いの言葉でお返ししました。
すると『シングルスで勝てていないのにダブルスで勝てているのは多彩なテクニックを身につけている証拠ですよ』と。
それまでの苦労の全てが吹き飛ぶ、至福のひとときでした。