【歴史1 1969年】中学・・テニスとの出会い ― 2011/02/24 09:14
テニスとの出会い。それは高石中学校テニス部です。従ってテニストピア生みの親はその顧問安井先生です。けれどもコート1面を軟式と共用のため、創部二年目の硬式がコートを使えるのは週二日。一人週約10分でした。先生も朝練や校庭に張った防球ネットに向けての一本打ちなど、あれこれ工夫して下さいました。
それでも、もっと打ちたい私は祖父の畑の一角に壁打ち場を作ることを願い出ました。それは叔父の増田清次邸の塀を拝借する案でしたが、家族も叔父も快諾してくれました。畑の倉庫は整地の道具やトンボ自作の材料の宝庫でそれは数週間で完成しました。しかし塀が低く、腕が更に低く、一日何度家にボールを打ち込んだことでしょう。改めてこの場を借りてお詫び申し上げます。また隣の川にも打ち込み、土手の上り下りは筋トレになりました。一時間いても10分も打ててなかったと思います。
そこで休憩タイムに、当時一つ(?)しか売ってなかった教本を眺めながら、『将来ここから有名になったりしてっ!』とニヤッとほくそ笑んでいました。
それでも、もっと打ちたい私は祖父の畑の一角に壁打ち場を作ることを願い出ました。それは叔父の増田清次邸の塀を拝借する案でしたが、家族も叔父も快諾してくれました。畑の倉庫は整地の道具やトンボ自作の材料の宝庫でそれは数週間で完成しました。しかし塀が低く、腕が更に低く、一日何度家にボールを打ち込んだことでしょう。改めてこの場を借りてお詫び申し上げます。また隣の川にも打ち込み、土手の上り下りは筋トレになりました。一時間いても10分も打ててなかったと思います。
そこで休憩タイムに、当時一つ(?)しか売ってなかった教本を眺めながら、『将来ここから有名になったりしてっ!』とニヤッとほくそ笑んでいました。