【歴史】'04~'06 全国選手の空白期間と全国第9号10号2012/12/02 00:09

【テニストピア歴史の更新です】

歴史の記述がずいぶん滞りました。
現実の激動の一年、過去に目を向ける余裕がなかったように思います。

2004年関西ジュニア決勝での理不尽な事件を受けて、全国へのはしごを外された私が、次に教え子を連れてくるまで全日本ジュニアの会場へ足を踏み入れない誓いを立てた時点で止まっていたはずです。

というわけで、この年の全日本ジュニアの本校ジュニアのダブルス優勝は観ていません。
そして私の指導力の矛先は、小1〜園児からこぞって全国を目指してスタートしていた7名のELITE生に一斉に向けられることとなりました。

当時私はワイフに何度もたしなめられました。
『またサテライトまで同行するの?! 今まで、関西サーキットすら一度も観たことがなかったのに!』と。
私はその都度『うるさい!この子らを全国選手に育てるまでは何だってする!』と切り捨てました。

空白期に入った半年後、既に小3の角矢安鳩方は2005年の1月、京都ジュニアサーキットチャンピオン大会U9で優勝するまでに頭角を現していました。
2005年2月、京都ジュニア実行委員会の大会で安鳩方(小3)が準優勝、德田直子(小3)が三位。
当時の当ジュニア達には、お手本とする先輩がいないデメリットと引き換えに、民間ローカル大会まで私が同行するメリットがもたらされました。
試合分析→個人レッスン→実戦練習→試合分析→の短い周期でのサイクルの効果は絶大でした。
この頃の経験から、現在の掲示板に『同行無くして上達無し』が掲げられています。
2005年8月大阪サマージュニアU11で小4の安鳩方は単で準優勝。
安鳩方と小5の岡崎奈々のダブルスは初優勝。
2005年12月、安鳩方は次ぐ大阪冬期ジュニアU11でも単で準優勝。
安鳩方,奈々のダブルスは夏から連覇。
2006年3月、安鳩方は大阪春季ジュニアU12単で念願の初優勝。
宿敵辻佳奈美選手に、ネットプレーのラッシュで勝ちました。
同大会、安鳩方,奈々のダブルスは夏から三連覇を達成。
また、金川美咲紀(小3)も単SFで安鳩方に敗れたものの堂々の三位。
ここに登場する子達はみな片手バックです。
これ以降の私のジュニア育成は、全て片手バックでのスタートとしました。
この春、残念なことに、将来を任せるつもりだったコーチが、数人のジュニアを引き抜いて独立しました。
小4にして安鳩方は、全国選抜ジュニアU12関西予選をノーシードから三位に入賞。
小5に上がった5月、全国選手第9号として全国選抜ジュニアに出場し、本校の全国選手の空白期間に二年で終止符を打ってくれました。
小5にして健闘のBEST8。
更に7月、安鳩方は全国小学生に出場。
小5にして健闘のBEST8。
8月の関西ジュニアU12では安鳩方はシングルスでNO.1シードに惜敗の三位。
安鳩方,奈々のダブルスは準優勝。 
続く全日本ジュニアU12に安鳩方のシングルス、安鳩方と岡崎奈々(全国選手第10号)ダブルス出場をもって、靭テニスセンターへ足を踏み入れない誓いは解かれました。
この全日本ジュニアは、両種目共ににBest8でした。

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